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記事・コラム 2026.11.05

中国よもやま話

【第72回】英領香港で成り上がった華人たち~“香港望族”の系譜

講師 千原 靖弘

内藤証券投資調査部

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい

「望族」とは名声や人望を集める名門一族を指す言葉だ。中国では古代から望族の栄枯盛衰が繰り返されたが、それは英領香港の華人(中国人)社会でも同じだった。

1842年の「南京条約」で英領香港が正式に誕生すると、大英帝国の各地から大商人が集まった。欧州列強の西洋人のほか、バグダート出身のミズラヒム(東方系ユダヤ人)、インドのゾロアスター教徒であるパールシー、アジアに広範な商業網を築いたアルメニア人などが、英領香港の有力者層を形成。被支配層の華人に活躍する余地はなかった。

しかし、華人にも例外があった。それが東南アジアの華僑だった。古代より華人の移住先だった東南アジアでは、十五世紀に明王朝の大艦隊が到来すると、マレー半島のマラッカなどに、華僑の街が本格的に築かれた。


英国の弁護士として法服をまとう伍廷芳清王朝に仕え、李鴻章の幕僚として活躍中華民国では孫文の下で政府の要職を歴任

マレー半島は1826年に英国の海峡植民地となり、そこに住む有力華僑の子弟は、英語による西洋式教育を受けた。こうした華僑が、誕生したばかりの英領香港に渡り、その財力、教養、英語を武器に、政財界で活躍した。

マラッカ出身の伍廷芳は、英国で華人初の法廷弁護士となり、英領香港では初めて華人議員に選ばれた逸材。妻はマラッカ出身の教師である何福堂の次女。伍廷芳と何福堂の一族は、優秀な人材を輩出した。伍家や何家のように、海外で財力を蓄え、英語を操る華僑が、英領香港で最初の「香港望族」を形成した。

何東(ロバート・ホートン)父はユダヤ系オランダ人ジャーディン・マセソン商会で活躍

伍廷芳などの華僑に次いで香港望族に成長したのが、欧州人と華人の混血である「ユーラシアン」だった。ユーラシアンの多くは、西洋人と華人の商売を仲介するコンプラドール(買弁)として活躍し、財を成した。

その代表的人物が何東(ロバート・ホートン)。ルーツである欧州人と華人の双方から差別されたユーラシアンは、婚姻関係を結ぶことで結束し、英領香港の政財界で活躍した。 「マカオのカジノ王」と呼ばれたスタンレー・ホーは、何東の弟である何福の孫にあたる。

二十世紀に誕生した香港望族は、華僑やユーラシアンと違い、海外との関係を持たず、商才だけを頼りに出世した。宝飾業で財を築いた周永泰や海運業で成功した李石朋などが、その代表格としては名を馳せた。周家や李家も政財界で活躍する優秀な人材を輩出し、香港望族と呼ばれた。

戦後の英領香港では、上海経済界の上流階級だった寧波人が、新たな香港望族となった。 「海運王」の包玉剛や「香港特別行政区・初代行政長官」に選ばれた董建華が、上海出身の寧波人として有名だ。また、広範な商業ネットワークを持つことから「中国のユダヤ人」と呼ばれた温州人も、戦後に上海から香港に移り、王徳輝と龔如心の華懋集団(チャイナケム・グループ)が有名だ。


鄧小平(左)と談笑する海運王の包玉剛(右)

上海からの移民に対し、香港の華人も引けを取らなかった。香港の不動産市場に革命を起こした霍英東(ヘンリー・フォック)は、「蛋民」(たんみん)と呼ばれる水上生活者から、香港随一の資産家に上り詰めた。さらに全国人民代表大会(全人代)の常務委員会委員、中国人民政治協商会議の全国委員会(全国政協)の副主席に就任し、中国本土の政治の世界でも活躍した。



李石朋ファミリーの李福兆(ロナルド・リー)遠東証券取引所を設立したが、88年に収賄罪で服役

李石朋ファミリーの一員である李福兆(ロナルド・リー)は、1969年に遠東証券取引所(遠東会)を設立し、英国人による証券市場の独占を打ち破った。これを機に、華人の企業も株式上場が容易となり、経営規模を拡大。華人企業が英国企業に代わって英領香港の主役となり、新たな香港望族が生まれた。

1970年代には新鴻基地産、合和実業、長江実業、恒隆地産、大昌地産(あるいは新世界発展)が頭角を現し、「地産五虎将」(不動産業界の五虎大将軍)と呼ばれるまでに成長した。

香港四大家族左から新世界発展の鄭裕彤(2016年没)、長江実業の李嘉誠、恒基兆業地産の李兆基(2025年没)新鴻基地産の郭炳湘(2018年没)

現在の香港経済界では、長江実業の李嘉誠ファミリーなど、1960~70年代に台頭した 「四大家族」が香港望族の代表格だ。香港株式市場には香港望族の会社が数多く上場。その影響力は二十一世紀の今日でも大きい。

香港四大家族 左から新世界発展の鄭裕彤(2016年没)、長江実業の李嘉誠、恒基兆業地産の李兆基(2025年没)新鴻基地産の郭炳湘(2018年没)

鄧小平(左)と談笑する「澳門望族」の馬万祺(右)鄧小平は香港やマカオの望族と数多く会談改革開放を推進するため、望族たちの資本を誘致中国の経済成長は香港望族たちの協力で始まった。

なお、戦後のマカオにも「三大家族」と呼ばれる「澳門望族」が誕生。戦時中にマカオに逃れて金融業などで成功した何賢と馬万祺、慈善事業や芸術活動で名をはせた崔徳祺の三人のファミリーだ。その権威は「マカオのカジノ王」と呼ばれたスタンレー・ホーを凌駕する。

何賢は「影のマカオ総督」「澳門王」と呼ばれ、その息子の何厚鏵(エドムンド・ホー)は、「マカオ特別行政区・初代行政長官」に就任。崔徳祺の甥である崔世安(フェルナンド・ツイ)も「二代目行政長官」に選ばれている。