話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る
「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー!
どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?
日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。
【出演番組一部抜粋】
ーーーー演番組を記入ーーーー
今回は【旭川赤十字病院 脳神経外科 副院長】の瀧澤克己先生のインタビューです!
テーマは 第1回「そもそも顕微鏡がないので、できないんですよ。」をお話しいただきます。
目次
プロフィール
- 名前
- 瀧澤(たきざわ) 克己(かつみ)
- 病院名
- 旭川赤十字病院
- 所属
- 脳神経外科
日本脳卒中の外科学会、日本頭蓋底外科学会、日本救急医学会、医療の質・安全学会にも所属する。 - 資格
-
- 日本脳神経外科学会専門医
- 日本脳卒中学会認定医・指導医・評議員
- 旭川医科大学臨床指導教授
- 藤田医科大学ばんたね病院客員教授
- 日本脳神経外科救急学会評議員
- 日本意識障害学会評議員
- 病院総合医など。
- 経歴
-
- 1965年北海道虻田郡倶知安町で生まれる。
- 1990年旭川医科大学を卒業後、旭川医科大学脳神経外科に入局する。
- 1996年旭川赤十字病院脳神経外科に勤務する。
- 1998年秋田県立脳血管研究センター(現 秋田県立循環器・脳脊髄センター)研究員となる。
- 2000年旭川赤十字病院脳神経外科に勤務する。
- 2007年旭川赤十字病院脳神経外科第三部長に就任する。
- 2010年旭川赤十字病院脳神経外科第二部長に就任し、医療安全推進室長を兼任する。
- 2011年旭川医科大学臨床教授を兼任する。
- 2012年旭川赤十字病院脳神経外科第一部長に就任し、上席院長補佐を兼任する。
- 2015年藤田医科大学ばんたね病院客員教授を兼任する。
- 2020年旭川赤十字病院副院長を兼任する。
第1回 海外での医療支援
─ 先生は海外での医療支援に積極的に取り組まれていますが、これを始められたきっかけをお聞かせください。
2012年に恩師の上山博康先生が旭川赤十字病院から札幌に移り、私が脳神経外科の部長になりました。私には恩師と言える方がほかにもいらっしゃるのですが、そのお一人が加藤庸子先生です。
加藤先生は藤田医科大学ばんたね病院の教授ですが、日本の脳神経外科では唯一の女性の教授であり、「情熱大陸」などのメディアにもよく出ていらっしゃる方です。
加藤先生は以前から東南アジアなどへの医療支援をされていたのですが、そうした国で脳神経外科の学会のようなものがあるので、それに参加してもらえないかというメールが2013年頃に来たことがきっかけでした。
─ 加藤先生とは以前からお知り合いだったのですか。
いえ、全く(笑)。お話ししたこともありませんでした。あとから伺った話では加藤先生は色々な医師にメールをして、スカウト活動みたいなことをされていたようで、一度でも断ると誘われなくなるという話でした(笑)。最初にメールが来たときに、よく分からないながらも「いいですよ」とお返事をしたら、そうしたメールを頻繁にいただくようになりました。加藤先生が作っておられる会には色々なものがあり、「この会にはこの人を呼ぼう」と考えておられたみたいです。それで私も海外に行くことになり、最初に行ったのがカンボジアでした。
─ カンボジアでどのような活動をされたのですか。
発展途上国では脳神経外科が全く発展していません。私は現地の医師を指導するという役割を担いました。当時はカンボジアに行くまでの旅費は自己負担でした。カンボジアでの宿泊代や食事は全て提供されるのですが、「旅費は自己負担でお願いできますか」と頼まれたので、「いいですよ」と言って、4年ほど連続で行きました。カンボジアには何も知らずに行きましたし、当時は今よりも英語ができず、コミュニケーションには苦労しました。
その頃のカンボジアはポル・ポトが倒れてから15年ぐらいしか経っていない時期で、カンボジア全土に脳神経外科医が10人ぐらいしかいなかったんです。4000万人ほどの人口に対し、10人の脳神経外科医しかおらず、顕微鏡もなければ、何もないところでした。
─ 医療資源がない中でどのように教えられたのですか。
そのときは血管を繋ぐ方法を教えてくれと言われたのですが、そもそも顕微鏡がないので、できないんですよ。でもカンボジアの先生方はとても興味を持ってくれました。そのときに、その一人が「こんな症例があります」と出してきたものがありました。20歳ぐらいの方で、頭に腫瘍ができ、それがどんどん大きくなっていっていたものでした。
そこで、皆でディスカッションをしたんです。世界脳神経外科学会連盟(WFNS)の教育コースでの支援でしたから、カナダや韓国などの色々な国から医師が来ていたのですが、そこで「手術をするしかない」「手術しないと数年で亡くなってしまう」といったディスカッションをするうちに、「手術してくれますか」「やってください」ということになり、海外で初めて手術をしました。
─ 手術はいかがでしたか。
お蔭様でうまくいきました。アンギオがなく、脳血管撮影のために患者さんの首から血管造影剤を注入して、タイミングを合わせて単純X線写真を撮ったんです。手術後に病理検査をしたところ、原因は感染症ということが分かりました。あのときに手術をしなかったら、その後も手術をすることはなかったのかもしれません。手術も色々な感覚が違っていました。
手術をしたのはフランスのNGOが建てた病院で、それなりの道具が揃っていました。そこの所長さんみたいな方はフランス人の脳神経外科医で、日頃は小児中心に診療をしていると言っていました。日本では手術をするとなると、17時どころか真夜中までやる感覚ですが、向こうはそんな感覚はなく、17時になったら終わりなんです。1回目に行ったときもそうでした。その所長さんの奥様はタイ人なのですが、タイの方々は自国の国王をとても信奉しています。その日はたまたま国王の誕生日で、タイの方々は国外にいても国王の誕生日をお祝いするんですよ。その日も18時からカンボジアのタイ大使館でお祝いのパーティーがあるから、17時で終わらないといけないと言われました。17時の時点でまだ半分しか終わっていなかったのですが、そこで手術を一旦終えて、パーティーに行ったんです。
パーティーに行かないなら1回の手術で終わったところだったのですが、1カ月後にカンボジアを再訪し、手術を再開しました(笑)。でも、その2回で腫瘍を全部取りきったので、患者さんは元気になり、感謝の言葉をいただきました。
─ 最近はインドなどにもいらしてますよね。
月に1回のペースで、色々な国に行っています。コロナ禍になる前はロシアやベトナムにも年に3回ずつぐらい行き、1週間ほど滞在する中で10件ぐらいの手術をしています。ウズベキスタンにも定期的に行っています。ただ、いつも手術をするわけではなく、教育をすることもあります。教育の一環で手術の動画を見せていると、それを見ていた地元の医師から「手術に来てくれ」と言われ、手術に行ったこともありました。ロシアに関してはウクライナ問題が始まってから行けなくなったのですが、現地からは「まだ来られないのか」とよく聞かれます。調べてみると、渡航しても安全で、ビザも普通に出るみたいですし、向こうが色々な手続きなどをしてくれるのであればと思っています。
─ 日本での診療とは違った遣り甲斐がありますか。
そうですね。日本では診ないような症例も多くありますが、日本のような道具は揃いません。その中で、病状を悪化させず、色々な工夫をして手術をしていくことが自分のスキルアップに繋がっています。そうすると、日本に帰ってきて手術をすると、やりやすくて仕方がないみたいな感覚になるんですよ。
─ 教育に関してはいかがですか。
発展途上国は色々な国から医師を呼ぶものですが、アメリカの大学のprofessorは振る舞いが偉そうだと聞きますね(笑)。私は皆と仲良くやっていますので、接しやすいみたいです。また、海外から旭川に研修に来る方々も多くいます。帰国後も「こんな手術をした」という報告が届き、意見を求められることもあります。
─ このあとはどういった国に行かれる予定ですか。
ベトナム、カザフスタン、ウズベキスタン、インドに行くことが決まっています。